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これも ポリティカル・コレクトネス なのでしょうか〈追記あり〉



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美術手帖のウエブ版の記事です


イギリスマンチェスター市立美術館が、 J. W. ウォーターハウスの《ヒュラスニンフたち》(1896)の一時的な撤去に乗り出し、騒動となっている。 昨年、ニューヨーク・メトロポリタン美術館に展示されているバルテュスの《夢見るテレーズ》に対して起こった撤去要請運動が記憶に新しいが、今回は美術館側の自主的な撤去が行われたようだ。 問題となったのは《ヒュラスニンフたち》。これは、ギリシャ神話から主題を得た作品で、若々しい裸のニンフたちがヒュラス国王を池の中に誘う場面を描いたもの。同美術館では同様の作品が数点「美の追求」と題されたスペースに飾られているが、女性を「受動的な着飾り」や「ファム・ファタル」とする「非常に時代遅れ」な表現であると当該学芸員クレア・ギャナウェイにより注意書きがなされていた。今回同館は、セクシュアリティな表現を公共の場において飾るべきか否かが議論される現代において、「裸の少女たち」が描かれた同絵画は人々に討論を促す作品のひとつであるとして撤去に乗り出した。撤去後、ソーシャルメディア上などで多くの反応が見られたが、いずれも美術館側の対応はあまりにも清教徒的で行き過ぎた行動である、との否定的な意見が目立つ。しかし同美術館は「ヴィクトリア的幻想に打ち勝とう!」の文言をブログ上に投稿し、非難を一蹴。ギャナウェイは「この撤去はけっして強制的な圧力で作品の自由な鑑賞を制限するものではない」「現在美術館は、ジェンダー、人種、そしてそれにまつわる表現について複雑な問題を抱えており、私たちはその問題について、積極的に議論したいと考えている」としている。また同時に、この決定は昨今活発化している「MeToo」や「Times up」運動の影響も大きいと語り、議論活発化のために美術館の来訪者に対して、同作品が飾られていたスペースに自らの意見を書いたポストイットを貼り付けるように促しているが、その多くが非難の声となっている。またツイッター上では、セクハラや性差別に対しての抗議運動の要素を都合良く利用した、単なる独善的行為だとの指摘も多く見られる。 なお、今回の撤去については映像で記録され、323日から同館で行われるソニア・ボイス展の一部になるという。

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撤去された『ヒュラスとニンフたち』

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美術展のポスターにもなった『夢見るテレーズ』



昨年12月からニューヨーク・メトロポリタン美術館が所蔵しているバルテュスの『夢見るテレーズ』の撤去を求める署名運動が行なわれています。作品の撤去署名を始めた女性は「若い少女が煽情的なポーズで描かれていることにショックを受けた」「こうした絵を美術館が誇らしげに展示していることが不快だ」と主張しているんだとか。。。。

おばちゃん、難しいことはよくわかりませんが、芸術の分野にとって表現の自由は何より大切で絶対に守らなければいけないものだと思います。

外部からの圧力であるバルテュスとは違い、ウォーターハウスの作品は美術館の学芸員が一時的とはいえ撤去したわけですよね。「時代遅れ」って、美術館に所蔵されている作品のほとんどは「時代遅れ」じゃないですかねぇ。イデオロギーで表現の良し悪しを判断するなんて、一番守らなくっちゃいけない表現の自由を美術館みずからが捨ててどうするんでしょうか?唯一の救いは美術館の行なった作品撤去に対して「批判的な意見が多い」ということでしょう。

だいたい「裸の少女だから」とか「扇情的なポーズの少女」とか作品を表面的に捉えすぎじゃないですかね。
芸術って、タブーを犯して表現し続けているからこそ様々な作品が今も生まれているんだと思います。
裸体画とポルノ、もちろん同じ裸なので、見る者を淫らな気持ちにさせるでしょう。でも芸術作品はそれだけではありませんよね。
作品を通して見る者の精神というか、感覚というか、魂っていうか、自分の中にあるものを「ここではない別の世界」に連れて行ってくれる。それが芸術だと思います。ポルノは淫らな気持ちになるだけでしょう、と思いますが違いますか?
おばちゃんはそういうふうに芸術というものに触れています。だからウォーターハウスの絵画もバルテュスの描く少女もポルノだとは思いません。

セクシャルハラスメントや性暴力は絶対に許せないし、なくなって欲しいものだけど、それから派生し続けるポリティカル・コレクトネスは行き過ぎているように思います。
イデオロギーの眼鏡をかけて世の中を審判したら、文化や伝統や歴史や宗教そして芸術は破壊されてしまうでしょう。破壊したその先には何が待っているのでしょうか?
最近の欧米のニュースを見ていると、文化大革命前夜のようで本当に恐ろしいです。



2月6日追記
BBCに「ヒュラストニンフたち」その後のニュースがありました

トップの写真はインドのバラナシ、ガンガー 早朝の沐浴風景です(1996年)



by kobuobachan49 | 2018-02-03 21:26 | 考える | Comments(0)

田舎に移住したおばちゃんの気まぐれ日記 keepsmiling                                    


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